皆さんこんにちは。少しずつ朝夕は涼しくなってきましたね✨
今回は、音楽と関わる人なら一度は耳にしたことがあるであろう「絶対音感」について考えていきます。このテーマで書こうと決めたのは、「絶対音感」(最相葉月著)という本を最近読み、絶対音感というものに対する自身の認識に変化があったからです。
私は以前から、絶対音感というある種の特殊能力と呼ばれるものに対して、ただただ憧れを持つ人たちに疑問を抱いていました。
確かにあれば便利なのは間違いなく、我が子に身に着けさせてあげたいという保護者様のご意向は当然大切にしています。ただ個人的には、将来的に作曲家や指揮者になる、等の専門的な教育を必要としないのであれば、なくても全く問題ないと思います。むしろ持つことによる弊害も沢山あるのは私自身がよく分かっているので、私の生徒さん達には積極的にはおすすめはしない、というのが現在の考えです。
そもそも絶対音感の定義は何でしょう。ニューグローブ音楽辞典には「ランダムに提示された音の名前、つまり音名がいえる能力。あるいは音名を提示されたときにその高さで正確に歌える、楽器を奏でることができる能力である」と載っています。
私もこの本を読むまでこの認識でした。しかし「絶対音感」の著者である最相氏は「そもそも曖昧であるはずの人間の感覚が『絶対』とは何なのか。絶対音感とはいったい何なのか。」という疑問を抱き、脳科学者や聴覚研究の専門家、また作曲家や演奏家をはじめとする様々な分野の音楽家達から情報を収集、考察されました。
その行きついた答えとして、こう述べています。
「絶対音感という言葉が纏った幻想の衣を一枚一枚引き剝がした後に残ったものは、どんな科学的な方法によっても永遠に解明されることはない絶対的な才能への、あくなき憧憬だったのではないだろうか。」
これは絶対音感という定義自体が曖昧なもので、科学的側面から分析しても正体はわからず、持っているとしても人によってその程度は様々という掴みどころのないものであるということ。
そしてそれは、あるときは天才児の根拠として、あるときは音楽専門教育における選抜の基準として、現在は早期教育の一商品として、と時代によって姿形を変え、利用されてきたということ。
しかしその裏に共通して見え隠れするのは、絶対的才能への人間の憧憬なのではないか?それこそが絶対音感という曖昧なものの正体なのでは?ということですね。
この本には持っている人ならではの苦悩や失敗談も書かれていました。日常の音が全てドレミで聞こえて、BGMがBGMにならない煩わしさ、1,2ヘルツの変化で気持ち悪くなってしまう音楽家等、様々な例が載せられていて、日常的に苦しんでいる方々も沢山いるのだなと実感しました。
私がこの文章を書くにあたり皆様に伝えたかったこと。
それは、絶対音感は曖昧なものであり、持っていようが持っていなかろうが優越の差は決してないということ。そんなことよりも、音楽を心から楽しんで聴く、奏でるという、より大切な原点を忘れないようにしよう、ということです。
読んでくださっている方の中に、もし、我が子に絶対音感をつけさせたいのに、中々つかず焦ってしまっている保護者様や、反対に絶対音感を持っているばかりに、日常の些細な音が苦しくて悩んでいる方がいらっしゃったら、是非一度この本を読んでみられることをおすすめします。
この本はやや分厚く、字もびっしりで、最初はオォォ…💦と感じますが、内容が魅力的ですので、ある程度時間をかければ読めると思います。少なくとも私は読んで良かったです😊✨
9月は初旬にブログを更新するぞ!と気合を入れていたにも関わらず、「絶対音感」の本を読むのに時間がかかり、この時期になってしまいました。いつもながらの言い訳ですね(笑)
次は更新日未定ですが、空きすぎないように気をつけて過ごします。
お読みいただきありがとうございました✨
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2023.9.14
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